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歴史

  
  
  
  

松山城は、仁治元年に備中有漢郷の地頭となった秋庭三郎重信(あきばさぶろうしげのぶ)が大松山に城を築いたのが最初となる。
元弘年間には、高橋宗康(たかはしむねやす)が小松山まで城を拡張した。
その後、城主は上野氏、庄氏、三村氏と代わり、戦国時代に突入すると城主:三村元親(みむらもとちか)時代の元亀元年に、備前より宇喜多直家(うきたなおいえ)が兵を進め元親は籠城を行うも、一時は城を失うが、翌年に奪回している。
だが、天正二年に元親は毛利氏から織田氏に寝返ると、毛利氏の猛攻を受け元親は自害し松山城も落城し、毛利氏の領土となる。
慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」にて、毛利氏は西軍に付き敗退後、この地に城番を置く事も有ったが、元和三年に池田氏が入城するも、寛永十八年に嫡子不在の為、断絶してしまうと、寛永十九年に水野氏が入邦し松山城を現在の姿へと大改修を行った。 その後は、安藤氏、石川氏、板倉氏と代わり明治時代を迎えた。


現在

  
  
  

現在、松山城は臥牛山(がぎゅうざん)に多くの遺構を残している。 当城は「日本三大山城」の一つに数えられており、その中でも現存天守や櫓と言った建物が山城で残るというとても、希少な城となっている。
城までは、徒歩で登山をする事も可能だが、車で城付近まで来る事も出来る。見所はやはり、現存天守と重要文化財にも指定されている二重櫓だろう。 他のも石垣群などの見所も多々ある。また、この付近には猿が生息しており度々、城付近で確認されているので、散策される方は注意してほしい。
竹田城同様、雲海が出ている日の光景は、雲に浮かぶ城と呼ばれており、季節を狙って行くこともお勧めしたい城である。


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