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歴史

  
  
  

高遠城の正式な築城者や築城年代は定かになっていない。
この城が文献に出てくるのは天文十四年、甲斐の武田晴信が信濃に侵攻、諏訪氏を攻略すると次に高遠氏が籠る高遠城に侵略、 武田氏の攻勢の前に高遠頼継(たかとおよりつぐ)は降伏し、高遠城は武田氏の領土となった。 高遠は信濃侵略に重要拠点と考えた晴信は軍師:山本勘助(やまもとかんすけ)に命じて大幅な改修を行った。晴信は高遠城を拠点として信濃を攻略し、これを平定した。
永禄五年には後に武田氏の後継者となる四朗勝頼(武田勝頼(たけだかつより))が城主となり、城の改修を行った。
天正十年に武田氏が滅亡すると、織田氏家臣:毛利秀長(もうりひでなが)が城主となる。
だが、天正壬午の乱が起こると徳川氏の領土となり保科氏が城代として入城した。
江戸時代になると、京極氏、保科氏、鳥居氏、内藤氏と城主を替え内藤氏八代の時代に明治を迎えた。


現在

  
  

現在、高遠城址は門や石垣が残っている。
武田氏時代には重要な拠点として活用された城だが、建造物等は殆ど残ってなく多少残念な気持ちになったが、明治時代に再建された太鼓櫓や問屋門などは見所の箇所だ。
また、桜の名所として有名で春には多くの桜が咲き乱れ花見客で賑わっている。


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