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歴史

  
  
  
  

松代城は永禄三年に甲斐の名将:武田信玄が築城した城だ。
信玄は信濃を攻略し小笠原氏と村上氏を駆逐するが、越後国に逃げ込んだ村上義清(むらかみよしきよ)の要請を受け越後守護:長尾景虎(ながおかげとら)(後の上杉謙信(うえすぎけんしん)は、信玄に挑むべく北信に侵攻した。対する信玄は景虎への備えとこの地域の拠点として城を築城する。これが松代城の始まりだと云われている。
松代城は当初「海津城(かいづじょう)」と呼ばれており、城代には武田氏家臣:高坂昌信(こうざかまさのぶ)が城将として配置された。
景虎と信玄は五度の合戦を繰り広げるも決着には至らなかった。この戦いは「川中島の戦い」と呼ばれ日本史の中でも有名な合戦として後世に伝わっている。
だが、天正十年に武田氏が織田信長により滅ぼされると、信長家臣:森長可(もりながよし)が城主となるが信長が本能寺の変で横死(おうし)すると、松代城は上杉氏の領土となった。 慶長三年、上杉氏は会津へ移封されるとこの地は、秀吉の直轄地となる。慶長八年に徳川家康の六男:松平忠輝(まつだいらただてる)が入城し一時は越後高田藩として75万石を擁する大名になるも、 元和二年に忠輝は改易となり、替って松平忠昌(まつだいらただまさ)がこの地に移封され、城を松代城と改めた。その後、酒井氏、真田氏と城主を替え明治時代を迎える事となる。


現在

  
  
  

現在、松代城址は天守台や復元本丸太鼓門(たいこもん)や北不明門(きたあかずのもん)が遺構として残っている。
復元状態が良く整備がしっかりと行われていて、とても綺麗な城址だ。
その松代城址から妻女山(さいじょざん)を望む事もでき、この地があの川中島の戦いの舞台だと思うと感無量であった。
城址としては復元されている門以外にも櫓門や巨大な土塁が復元されており、見所は満載だ。
また、近くには真田氏時代の真田邸や宝物館、松代藩文武学校なども残されており城下町としても楽しむ事ができた。
川中島古戦場には信玄と謙信の一騎打像などがあり、必見の地だ。


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