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歴史

  
  
  
  
  

高松城は天正十五年に生駒親正(いこまちかまさ)が築城した。
親正は織田氏、豊臣氏に仕え多くの手柄を立て讃岐を秀吉より拝領すると、当初は引田城(ひけたじょう)に入城するも手狭の為、高松城の築城を行った。
築城場所は野原と呼ばれる港町を選定し瀬戸内海の海水を利用しており、海城として機能した。
だが、寛永十七年に勃発した「生駒騒動」で生駒氏が改易されると、替って松平氏が東讃岐国に国主として入国した。
松平氏は徳川氏の近親関係であった為、四国の監視役として入国したと云われている。
国主:松平頼重は高松城の拡張を行い、三層五階の南蛮造りと呼ばれる天守閣を築城した。その後、松平氏は明治時代まで讃岐の国主として栄える事となる。


現在

  
  
  
  

現在、高松城址は玉藻公園(たまもこうえん)内に整備されている。
天守台や石垣、月見櫓や艮櫓などが遺構として残されている。
「日本三大水城」の一つに数えられる通り、傍は海となっており海水に匂いが漂っている場所だ。
南蛮造りで建てられた天守閣は無く天守台のみだが、天守台の広さから天守閣の大きさを伺う事が出来る。
艮櫓が建つ場所は元太鼓櫓があった場所で、艮櫓をこの場所に移した模様だ。
また「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われており、築城当時は海に囲まれた天然の要塞だった事がわかる場所になっている。


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