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歴史

  
  
  
  

有子山城は天正二年に但馬国守護:山名祐豊(やまなすけとよ)が築城した。
山名氏は元来此隅山城を居城としていたが永禄十年に織田信長家臣:羽柴秀吉の攻撃に寄って此隅山城(このすみやまじょう)は落城し、新たな拠点として有子山山頂に新城を築城した。
城は有子山山頂に詰めの城を築城し山麗には居館を設けた。
だが、織田氏による但馬国侵攻が激化すると天正八年に再度、羽柴秀吉によって攻撃を受け有子山城も落城し山名氏は滅んでしまった。
豊臣時代になると前野長康(まえのながやす)が城主となるも文禄四年に長康は改易となり、次に小出吉政が入城した。
慶長五年の「関ヶ原の戦い」にて吉政は西軍に加担するも、弟:秀家は東軍に味方し武功を上げた為、吉政の功罪は免除された。
吉政は慶長九年に父の死去に伴い岸和田城に移動すると、息子:吉英が有子山城主を継いだ。
だが、吉英は有子山城を廃城とし麓の居館を近代城郭へと改修すると其方に移り住む事となった。


現在

  
  
  

現在、有子山城址は有子山山頂に石垣等多くの遺構を残している。
出石城址横から登山道が出ているが、井戸曲輪付近まで急勾配な登山道となっており、非常に登りにくくなっている。
井戸曲輪付近まで来ると、前半の急勾配が嘘の様な平坦な登山道となる。
山頂付近からまた登りが続くがここまで来たら石垣や曲輪などの遺構を確認出来るようになる為、最後の力を振り絞り山頂を目指してほしい。
山頂付近には石垣や、堅掘、千畳敷などの遺構が良好な形で確認出来る。
更に山頂の本丸跡から望む景色は絶景で麓の出石城址は勿論、周囲の城下町まで良く確認出来る。
山頂までの登山は厳しい登山道が続くが我慢して登る価値がある山城となっている。


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