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歴史

  
  
  
  

出石城は慶長九年、小出吉英(こいでよしひで)が築城した。
この地は天正二年、但馬国守護:山名祐豊(やまなすけとよ)が有子山城(ありこやまじょう)を築城、 長らく山名氏の居城として栄えていたが、文禄四年頃に小出吉政(こいでよしまさ)が有子山城に入城し城代を勤めた。
慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」にて小出氏は家名存続の為、吉政が西軍に付き弟:秀家は東軍として戦うが秀家の活躍により吉政の西軍への加担は咎められず、本領安堵となった。
慶長九年、吉政が父の死去に伴い岸和田城に移ると、子の吉英が有子山城に入城し執政を取るも、山城の特徴である交通の不便さから有子山城を廃城とし麓の居館を改修し出石城を築いた。
小出氏は出石城を居館とし藩政を執り行うも、元禄九年に六代英及が死去すると無嗣改易(むしかいえき)(跡継ぎが無く家が存続しなくなる事)となる。
その後、松平氏が入城し宝永三年には仙石氏が入城すると、明治時代まで戦国の居城となった。


現在

  
  
  

現在、出石城址は2基の隅櫓が復元されており、出石のシンボルとなっている。
出石といえば皿そばが有名で、出石城周辺には城下町風情の中に多くの皿そば屋が立ち並んでいる。
城跡は辰鼓櫓が建ち長屋門や家老屋敷、多くの石垣も良好な形として残されている。
また、城跡地には稲荷神社も祀られ多くの方が来ている。


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