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歴史

  
  
  
  
  
  

黒井城は建武年間に赤松貞範(あかまつさだのり)が築城したと云われている。
貞範は足利尊氏に従い、武功を挙げこの地を拝領したと云われている。
その後、赤松氏は五代にわたり黒井城を支配下に置いていた。
天文二十三年には、赤井直正が黒井城城主:萩野秋清を暗殺し城を乗っ取る事件が起こる。これを「黒井城の乗っ取り戦」と呼ばれている。
更に、直正は黒井城を拠点とし但馬国、丹後国に侵攻し勢力を拡大して行った。
天正三年に織田信長の命により、明智光秀(あけちみつひで)が黒井城を取り囲むも「赤井の呼び込み戦法」により織田軍は敗退し総退却となった。
同五年に再度、明智光秀は丹波国討伐戦が開始されると、光秀は黒井城に猛攻撃を仕掛ける。
翌年まで戦は続くが天正六年に猛将直正が病死すると、光秀は黒井城周辺の支城を攻め落し孤立させると遂に黒井城は落城してしまう。
光秀は重臣:斉藤利三(さいとうとしみつ)を置きこの地を統治させ黒井城は現世に残る城郭へと拡張させた。天正七年、利三の娘がこの地で誕生する。その娘は後の春日局であった。
その後、天正十年に光秀が本能寺の変で主君織田信長を横死させるも、羽柴秀吉によって光秀は敗れ丹波国から明智氏の勢力は駆逐されると、 黒井城は秀吉家臣:堀尾吉晴(ほりおよしはる)が入城する。
天正十二年には赤井直正(あかいなおまさ)の弟:時直が徳川家康に通じ黒井城に立て籠もっているが、その後の黒井城の詳細は不明で廃城になったと思われている。


現在

  
  
  
  

現在、黒井城址は猪口山(いのくちやま)山頂に石垣などの遺構を残している。
その黒井城址と言えば多くの乱世を繰り広げた城だが、何と云っても赤井直正の時代が一番有名だろう。
直正はあの織田軍を相手に勝利をもぎ取った名将として有名で、登場口周辺には直正の旗が上げられていた。
登場口まで細い道を通る事になる為、詳細なルートを知りたければ猪口山麓にある春日住民センターで確認する事をお勧めする。 登山道は2か所あり、「ゆるやかコース」と「急坂コース」に分かれている。 ゆるやかコースは至って普通の登山道だが、多くの遺構を見たければ急坂コースをお勧めする。
だが、急坂コースの注意版に記載されている通りここは、それなりの登山装備が必要なコースになっている。
どちらのコースを選んでも途中から合流できるようになっているが、その合流地点が石踏の段と呼ばれる巨大な曲輪地点となっている。 その石踏の段から山頂を目指すと、山頂付近に東曲輪に雄大な石垣の遺構を見る事が出来る。本丸跡地にも多くの石垣や立派な曲輪を確認でき、また山頂から見下ろす眺めは感動すら覚えるだろう。
是非とも、この名城址を目指しこの地まで足を運んでいただきたい。


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