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歴史

  
  
  
  
  

洲本城は大永六年に三好氏の重臣:安宅(あたぎ)治興が築城した。
その後、治興の養子:冬康(ふゆやす)(三好長慶の弟)が跡を継ぎ、安宅氏の居城として栄えたが、天正九年に起きた淡路征伐の際に安宅氏は羽柴秀吉(はしばひでよし)に降伏した。
安宅氏降伏後、信長が本能寺の変で横死すると秀吉が台頭し、洲本城は淡路平定に貢献した仙石秀久(せんごくひでひさ)に与えられた。
だが、秀吉による九州征伐に参陣した秀久は、軍律違反を犯し領土を没収され高野山に追放となる。
秀久に替り脇坂氏(わきさかし)が城主として洲本城に入城すると、城の大改修を行った。
改修された洲本城は三熊山山頂に天守を持ち、麓に御殿を築城、その周りを「登り石垣」で繋いで防御力を高めた。
慶長十四年に脇坂氏が移封すると、池田忠雄が入城した。忠雄は拠点を洲本城から由良城に拠点を移すと洲本城は廃城となる。
大坂の陣後、池田氏が備前に移封すると、蜂須賀氏(はちすかし)が大坂の陣の戦功により由良城した。
蜂須賀氏は城の痛み具合が酷い由良城から、洲本城に拠点を移す事を実行し(このことを由良引きとよばれている)さらに城下町事移動させた。
その際に、三熊山の麓に新城を築城、城は洲本城(下の城)と呼ばれた。
その後、三熊山山頂の城は使われる事はなかったが、下の城を拠点として明治時代を迎えた。


現在

  
  
  
  

現在、洲本城は山頂に模擬天守が建てられている。
模擬天守は実際にあった天守の復元ではないが、昭和三年に建造されており日本一古い模擬天守となっている。
この城の見所は山頂に現存している総石垣だろう。
遺構の形も良好で、時間が有るなら麓から登山道から登る事をお勧めする。
また、山頂から望む展望は洲本八景にも選ばれている。
是非、洲本城からの景色を堪能して貰いたい。


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