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歴史

  
  
  
  
  

姫路城は正平元年に播磨守護赤松則村(あかまつのりむら)の次男:貞範が築城をしたのが始りだ。
 当初は南北朝時代で北朝方に味方した赤松氏は南朝方に備える為に当城を築城し家臣:小寺氏が守備に当たった。
戦国時代に突入すると、後の名軍師:黒田孝高(くろだよしたか)を輩出する黒田氏が小寺氏の家老として当城を居城とし、館ほどだった姫路城を改修した。
その後、織田信長が台頭し、信長は西国の覇者:毛利氏を打ち砕く為、播磨へ侵攻すると、その軍の総大将を務めていた羽柴秀吉の軍師として孝高は従軍し、播磨平定の活躍を見せる。
天正八年に孝高は居城の姫路城を秀吉に譲り御着城(ごちゃくじょう)に移ると、秀吉は山陽道上の要所となる姫路城を築城の名手:浅野長政(あさのながまさ)や孝高に命じ近世城郭へと修築させる。
秀吉はその後、天下人へと上り詰めるも、慶長三年に秀吉が死去すると弟の秀長が入城し、同五年に起きた「関ヶ原の戦い」後、戦功が有った池田輝政が播磨国を与えられ、姫路城に入城し、現在見られる大規模な城へ修築させる。
江戸時代に入ると、西国探題が設置され、池田氏、本田氏、榊原氏、酒井氏や松平氏と城代を替え、明治時代を迎える。
明治時代になると、日本陸軍の管轄下に置かれ、多くの建物が破却される。
昭和になり、太平洋戦争によって姫路も大空襲を受けるが姫路城は焼却を免れ、昭和の大修理を行い城は復元され、更に平成の大修理を行い今日に至る。


現在

  
  
  
  

現在、姫路城は平成21年から25年に「平成の大修理」を経て白鷺城(しらさぎじょう)と呼ばれるに相応しい城となっている。
もはや説明不要の当城を一目見ようと世界各地から観覧者が後を絶えない。
また、平成五年には世界遺産に登録され、その人気に拍車が掛っている。この城の見所は多々あるが、やはり現存天守になるだろう。
池田輝政(いけだてるまさ)が修築した五層からなる大天守とその小天守の現存を観る事はこの上ない感動を与えてくれる事だろう。
また、石垣や城壁、数々の櫓等、一日では観る事が出来ない程、多くの遺構を堪能できる。
修復されている箇所はあるが、よくぞこれだけの規模を誇る城が多く現存して残っている物だと感心させられる。
もはや説明不要かもしれない姫路城を是非、一度訪れてほしい。


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