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歴史

  
  
  
  

清州城は応永十二年、斯波義重(しばよししげ)によって築城された。
文明十年、尾張守護代の織田氏が勢力を広げると守護所が清州城へ移され、尾張国の中軸を担う城となった。
弘治元年に織田信長は、一族間で対立していた清州城城主:織田信友(おだのぶとも)を滅ぼすと信長が清州城城主なり、信長はその後何度も清州城の拡張に乗り出した。
永禄五年、信長は三河国:徳川家康と清州城で同盟を結ぶと美濃攻めに乗り出した。この際の同盟は清州同盟と呼ばれている。 美濃攻めの際に小牧山城を築城すると、 信長は清州城から小牧山城へ本拠を移した。
天正十年、信長が「本能寺の変」で倒れると、その後継者を巡り清州城で会議が行われる。これが「清州会議」である。
その後、清州城は信長次男:信雄が相続するも、豊臣秀吉による国替えで信雄はこの命に反発すると、徐封され清州城は福島正則(ふくしままさのり)の居城となる。
慶長五年の「関ヶ原の戦い」で戦功を挙げた正則が、安芸へ転封すると、同十二年徳川家康の九男:義直が入城する。
そして名古屋城が築城されると、清州城はその資材として解体され廃城となった。


現在

  

現在、清州城は模擬天守が建てられている。
日本史に何度も出てくるこの名城だが、当時の遺構は何も残されていない。
隣接している清州公園に信長の銅像が建てられていた。


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