kyusyu.sky.net

歴史

  
  
  
  

犬山城は文明元年、応仁の乱の際に織田広近(おだひろちか)がこの地に木下城を築城した事が始まりだといわれている。
当初は砦ほどの規模だったが、天文六年に織田信秀の弟:信康が木下城を廃城し新城を築城、これが犬山城となった。
その後、信康の子:信清が城主となるが織田信長と対立し、敗北すると信長の支配下となる。
天正十二年、犬山城城主織田信雄は、小牧・長久手の戦いで池田恒興から奇襲を受け敗走すると、豊臣秀吉は犬山城を本陣とし、徳川家康と対峙、以後豊臣領となる。
文禄四年、豊臣秀次が切腹すると石川貞清が城主となる。貞清は犬山城の大改築を行うが慶長五年に勃発した関ヶ原の戦い直前で、西軍に与した貞清は犬山城を放棄し関ヶ原に参陣する。
関ヶ原の翌年には、小笠原吉次が城主となり次いで同十二年には徳川義直の家老:平岩親吉が入城した。
更に、元和三年に成瀬正成が入城すると以後、成瀬氏の居城となり同六年には犬山城の大改修を行った。
明治四年になると廃藩置県によって犬山城は廃城となると、一度は政府管轄に移行されるが同二十八年に再度成瀬氏へ、譲渡されると平成十六年まで成瀬氏の所有となった。


現在

  
  

現在、犬山城は現存天守が残る城として多くの方が来場されている。
現存天守が最大の見所だが、城の中核を担っている見事な野面積(のづらづみ)の石垣も必見だ。
更に、間近で見る犬山城も素晴らしいが、木曾川河川から望む景観もまた絶景だ。
平成十六年まで個人所有だった犬山城だが、その間国宝に認定されており、 現存として現在までこの形を残した前所有者の方に敬意を払い散策を堪能して貰いたい。


Copyright(C) 2019,All rights are reserved by Yuichi Ishii
当サイトページを無断で転載、複製、改変等の行為は禁じます。